2024.12.17
1944年(昭和19年)のインパール作戦で、香川県善通寺で編成された第31師団(通称号:烈)(師団長:佐藤中将)の山砲連隊がコヒマに進軍しました。
香川県からも多くの兵が出征し、多数の戦死者を出しました。
生き残った兵が池田会長のふるさと塩江町上西柿野に慰霊碑を建立しました。
この度、コヒマで日本兵の遺骨収集を行っている久木原さん(推進協)から現地の写真が送られてきました。
特に激戦となったテニスコートの戦い(日本側呼称:コヒマ三叉路高地の戦い)(日本兵3,000名~4,000名が戦死したと言われる)が現在は公園となっている様子が写されています。
遺骨収集作業には現地のコヒマ科学大学の学生・職員が無償で協力しています。
この協力関係から、日本の大学と交流したいという学長の願いがあり、久木原さんがその願いを受け、池田会長から香川県教育長にその仲介を依頼しました。
2024.09.24
9月20日、「戦没した船と海員の資料館」を訪れ、大井田さんにお会いしました。
この日は、大井田さんの資料館勤務最終日でした。
これまでトラック島・ガダルカナル島の輸送船(民間徴用船)の情報を細かく教えて頂きました。
ありがとうございました。
アメリカ国防省、豪州キヤンベラ、シンガポール、ロンドン。
国内では国立公文書館、国会図書館、防衛研修所など戦時当時の事実調査で行脚された。
ご苦労様でした。
2024.04.26
靖國神社春季例大祭に招待され、本殿で参拝させて頂きました。
國學院大學吹奏部の吹奏で「鎭魂頌」と「靖國神社の歌」が流れる中を、本殿の廊下を静々と歩を進めました。
2024.01.17
令和5年10月21日(土)に開催された「全国ソロモン会総会」に出席いたしました。
2023.11.30
ガダルカナル輸送船探索と慰霊事業
令和5年度調査(令和5年4月9日~4月20日)
本調査は、2019年5月にガダルカナル島 (以下「ガ島」という) で実施した民間徴用船探索に続き、ガ島で補給作戦に任じ没した民間徴用船、ガ島周辺で沈没したイ号潜水艦の探索と慰霊、カミンボ湾にて撤退時に遺棄したと考えられる戦争遺棄物の探索を行いました。
ガダルカナル島の戦いで日本側は戦死者だけでなく兵員に多数の餓死者を出したため、略称のガ島をもじった餓島(がとう)とも呼ばれました。
サボ島周辺海域でソロモン海戦が第1次~第3次に渡り日米海軍の軍艦が戦闘、戦艦比叡と霧島を始め巡洋艦、駆逐艦を 24隻失いました。米軍も戦艦巡洋艦駆逐艦を日本海軍と同じ 24隻失いました。このサボ島周辺海域で先の大戦で日米の軍艦がし烈に戦ったのです。
艦戦に参加した元海軍がエスペランス岬灯標見れば命を懸けた海域ですから感無量になります。
ガダルカナル島沈没船探索・慰霊報告書(PDF)
読売新聞オンライン2023年8月17日掲載
ガダルカナル島撤退80年、沈没した日本軍3隻確認
https://www.yomiuri.co.jp/national/20230817-OYT1T50165/
2023.11.27
11月25日(土)、靖國会館偕行の間で第18回日本学協会定例講演会が開催されました。
演題は「海洋国家日本の針路」、講師は東海大学海洋学部山田吉彦教授でした。
主に尖閣諸島の魚釣島を題材にされていました。
日本は、EEZ範囲・海水容積は世界4位・6位のクラス
海と島を活用することに力を入れ、食料を確保するために一次産業に注力すべき
この点がとても印象的でした。
たくさんの聴講者がいて、非常に興味深い話でした。
2023.10.19
過ぎし日の激戦地ガダルカナル島。
日米が国力を賭して戦った。
双方戦力を損耗したが国力の差か、補給が続かず日本は撤退した。
科学力も差が出て来た戦場だった。
しかし、大国米国を相手に負ける戦争に挑んだ当時の世界情勢と国内事情を深掘りしないと、何故戦争しなければならなかったかは解明出来ないかな。
その戦場だったガダルカナル島を見る。
2023.09.13